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Re:ゼロから始める異世界生活のネタバレ【小説・アニメ・漫画】

「リゼロ」ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアとは?剣鬼・テレシアへの愛・白鯨討伐を完全解説

「Re:ゼロから始める異世界生活」に登場するヴィルヘルム・ヴァン・アストレアは、クルシュ陣営に仕える老剣士であり、その剣技の凄まじさから「剣鬼」の異名を持つ。物語においてはスバルやフェリスと並ぶ白鯨討伐の立役者として活躍し、Arc4ではライ・バテンカイトスとの宿命の対決を果たした。さらにArc7では遠いヴォラキア帝国の地でその生涯を終えるという、壮絶な人生を歩んだキャラクターである。

「剣鬼」という異名が示す通り、ヴィルヘルムの剣への執着は人間のそれを超えていた。加護を持たないにもかかわらず、剣聖とさえ渡り合い、魔獣白鯨に傷を与え、大罪司教を討ち果たした。しかしその強さの根底には純粋な愛があった。最愛の妻テレシア・ヴァン・アストレアへの愛こそが、ヴィルヘルムの剣を生かし続けた源泉だった。

本記事では、ヴィルヘルムの生い立ちから「剣鬼」としての戦闘哲学、最愛の妻テレシアとの純愛、息子ハインケルとの葛藤、そして白鯨討伐からArc4・Arc7に至る全ての足跡を原作小説に沿って徹底解説する。リゼロを読む上でヴィルヘルムの存在を深く理解することは、この物語が語る「愛と喪失」というテーマをより豊かに味わうことに繋がるはずだ。


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ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアのプロフィール

名前 ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア(Wilhelm van Astrea)
異名 剣鬼(けんき)
所属 クルシュ・カルステン陣営
役職 クルシュ陣営筆頭剣士
家族 妻:テレシア・ヴァン・アストレア(故人)、息子:ハインケル・アストレア、孫:ラインハルト・ヴァン・アストレア
特技 超人的剣技(加護なし)
武器 剣(複数)
登場Arc Arc3(白鯨討伐)、Arc4(聖域)、Arc7(ヴォラキア帝国)
声優 中博史

「剣鬼」の異名とヴィルヘルムの戦闘哲学

ヴィルヘルムが「剣鬼」と呼ばれるようになったのは、彼の剣に対する一種の狂気にも似た執着から来ている。幼少期から剣の道に取り憑かれたヴィルヘルムは、剣聖の加護を持つことなく純粋な鍛錬と才能だけで比類なき剣技を磨き上げた。その生き様は「剣のために生きる」という一言に尽きるほど一貫していた。

ヴィルヘルムは常に剣の加護を求めていた。剣聖の加護はラインハルト一族が代々継承するものだが、ヴィルヘルム自身はその恩恵を受けることができなかった。それでも彼は剣を磨き続け、加護なしで魔獣や人間の最強格と渡り合うまでの実力を身につけた。この「加護を持たないにもかかわらず超人的な剣技を持つ」という矛盾が、「鬼」という表現に象徴されている。通常の人間が「剣士」であるとすれば、ヴィルヘルムは「剣に取り憑かれた異形の存在」とでも言うべき位置にある。

彼の剣技の特徴は圧倒的な速度と力の融合にある。老齢になってからも、スバルや他の戦士たちから見て「目で追えない」ほどの速度を誇る。白鯨戦において100メートルを超える巨体を持つ魔獣を単独で翻弄するシーンは、ヴィルヘルムの実力の一端を示すものとして読者の記憶に強く刻まれた。その速度と切れ味は老剣士のものとは思えず、戦場にいる全員を驚愕させるものだった。

また、ヴィルヘルムの戦闘哲学は「剣を極めることで愛するものを守る」というものに集約される。若い頃はただひたすら強さを求めるだけの剣鬼であったが、テレシアとの出会いによってその剣技に「愛する人を守る」という意味が付与された。その後もその哲学はヴィルヘルムの全ての戦いの根底にあり続け、死の瞬間まで揺らぐことがなかった。

剣の道において「諦めない」というのも彼の一貫した姿勢である。白鯨遠征で血を流しながら戦い続けたのも、Arc7で老境に達してもなお戦場に立ったのも、全てその哲学の表れといえる。鍛え続けることをやめず、戦い続けることをやめず、愛し続けることをやめなかった。それがヴィルヘルム・ヴァン・アストレアという男の本質だった。

剣への執着という点では、ヴィルヘルムは若い頃から「剣に狂った」者として周囲に認識されていたようだ。一般的な剣士が剣を「道具」や「手段」として扱うのに対し、ヴィルヘルムにとって剣はアイデンティティそのものだった。剣を失えば自分が何者であるかわからなくなるほどに、彼の存在は剣と一体化していた。だからこそ「鬼」という語が用いられる。鬼は人間の領域を超えた存在であり、ヴィルヘルムの剣への執着は人間の常識を超えた何かだったのだ。

テレシア・ヴァン・アストレアとの出会いと恋(剣聖との純愛)

ヴィルヘルムとテレシア・ヴァン・アストレアの出会いは、剣を通じたものだった。テレシアは当代の「剣聖」として名高く、ラインハルト家の剣聖の加護を継承した女性剣士である。剣に狂ったヴィルヘルムが求めたのは最初、テレシアという人間ではなく、彼女の持つ「剣聖」の称号と実力だった。強い者があれば挑む、それがヴィルヘルムの本能だった。

テレシアの剣技はヴィルヘルムをも圧倒するものだった。加護を持つ剣聖として、テレシアの剣は神の領域に届くものである。ヴィルヘルムはその剣を乗り越えようと何度も挑み、敗れ続けた。しかし繰り返される対決の中で、ヴィルヘルムはテレシアという人間の深さに触れ、いつしか剣への敬意が彼女自身への愛情へと変わっていった。剣によって出会い、剣を通じて互いを知り、剣の向こう側で愛が育まれた。それがヴィルヘルムとテレシアの関係の始まりだった。

テレシアの側もまた、剣だけを見て自分に挑み続けるヴィルヘルムの純粋さに惹かれていった。剣聖として多くの者に畏敬の目で見られてきたテレシアにとって、ヴィルヘルムのように剣士としてだけを見てくれる存在は新鮮だった。「あなたの剣が好きよ」という彼女の言葉は、単なる技術への賛辞ではなく、ヴィルヘルムという人間への愛の告白でもあった。二人の関係は剣士としての敬意から始まり、生涯を共にする夫婦愛へと昇華した。

結婚後、テレシアは剣聖の加護を手放した。より正確には、テレシアが剣聖の役割よりも一人の女性として生きることを選んだことで、加護がテレシアを離れていった。この選択はテレシアにとって剣の呪縛からの解放であり、ヴィルヘルムへの愛の証でもあった。ただし加護を失っても、テレシアの剣技は凡人をはるかに超えたものであり続けた。加護は失っても技術と才能は消えない、それがテレシアという剣士の本質だった。

二人の間にはハインケルという息子が生まれた。ヴィルヘルムとテレシアは夫婦として、また一人の剣士として互いを尊重しながら生きた。剣と愛という一見相反するものを両立させた二人の関係は、リゼロという作品の中でも特に美しい人間関係として描かれている。テレシアが魔獣討伐の任務で命を落とした時、ヴィルヘルムの受けた喪失の深さは計り知れないものだった。それほどまでにテレシアはヴィルヘルムの全てだった。

ハインケルとの関係(父子の葛藤)

ハインケル・アストレアはヴィルヘルムとテレシアの息子であり、ラインハルト・ヴァン・アストレアの父親にあたる。父と息子の関係でありながら、ヴィルヘルムとハインケルの間には深い亀裂が走っていた。その亀裂の根本にあるのはテレシアの死であり、そしてアストレア家という剣の名門に生まれた者たちの宿命だった。

ハインケルはテレシアの死に際して、様々な感情をヴィルヘルムに向けた。父への怒り、失望、そして自分自身の無力感。詳細は原作でも複雑に描かれているが、テレシアの死後、父子の間の溝は決定的になった。ヴィルヘルムが白鯨討伐という「復讐」の一点に全情念を注いだことも、息子との関係修復を遠ざける一因となった。

一方でヴィルヘルム自身も、息子ハインケルとの関係において自らの至らなさを深く感じていた。妻の死後、ヴィルヘルムは白鯨討伐という目標に全てを注いだ。それは別の言い方をすれば、息子や孫との日常を切り捨て、剣と復讐の世界に閉じこもった証でもある。父として何ができたか、という問いはヴィルヘルムの胸の奥底に常にあったはずだ。

ハインケルはその後、アルコール依存に苦しみ、父親としての役割を果たせないまま息子ラインハルトからも距離を置かれることになる。「剣聖の家系」に生まれながら、自身は特筆すべき剣才を持たず、父ヴィルヘルムのような剣鬼にも祖母テレシアのような剣聖にもなれない。その劣等感と自己嫌悪がハインケルを蝕んでいった。アストレア家という強者の系譜の中に生まれた「普通の人間」ハインケルの苦しみは、リゼロが描く「強さと弱さ」というテーマの一側面でもある。

ヴィルヘルムとハインケルの関係は、Arc4の聖域においてもライ・バテンカイトスとの決戦を通じてヴィルヘルムが過去と向き合う中で、間接的に浮かび上がってくる。ライが喰らったテレシアの記憶を取り戻す過程で、ヴィルヘルムはテレシアとの時間だけでなく、息子との関係も含めた全ての過去と向き合ったはずだ。父として、夫として、ヴィルヘルムが遺したものの重さがハインケルの人生に影を落とし続けた。

テレシアの死後のヴィルヘルム(白鯨遠征への参加動機)

テレシアを失ったヴィルヘルムの人生は、妻の死後に「白鯨を倒すこと」という一点を中心に再構成された。白鯨はリゼロ世界最強の魔獣の一つであり、その討伐は歴代の勇者たちが挑み続けて果たせなかった偉業だった。ヴィルヘルムは白鯨を、テレシアの死に関わる存在として深く憎み、倒すことを生涯の目標として定めた。

白鯨がテレシアを直接殺したというわけではないが、テレシアが関わった戦場と白鯨の存在は物語の中で複雑に絡み合っている。ヴィルヘルムにとって白鯨は、愛する妻を奪ったすべての理不尽を象徴する存在だった。「白鯨を斬ること」はテレシアへの弔いであり、自分自身の生きる意味でもあった。妻を失って生きる意味を失いかけたヴィルヘルムに、白鯨討伐という目標だけが前に進む理由を与えた。

クルシュ・カルステン陣営に仕えるようになったのも、この白鯨討伐の機会を求めてのことだ。クルシュは王選候補者の中でも白鯨討伐を早期から視野に入れており、ヴィルヘルムにとって彼女に仕えることが白鯨に近づく最短経路だった。ヴィルヘルムがクルシュに対して深い忠誠心を持っているのは、クルシュが自分の目標を実現させてくれる存在だからでもあり、同時にクルシュの人間としての器の大きさを認めているからでもある。

スバルが白鯨討伐遠征を提案したとき、ヴィルヘルムはその計画に全力で参加することを即決した。老体を押して戦場に立つことを躊躇わなかったのは、この数十年にわたる「白鯨への憎しみ」があってこそだった。白鯨討伐はヴィルヘルムの人生において単なる武勲ではなく、テレシアへの愛の証明であり、自らの魂の浄化でもあった。命がけの戦いに赴くことを恐れないどころか、テレシアの元に逝ける可能性すら厭わないという境地にまで達していた。

スバルはヴィルヘルムの動機を理解し、その思いに応えようとした。二人の間には世代を超えた「愛する人を守る」という共通の意志があり、それがスバルとヴィルヘルムを結ぶ精神的な絆となった。ヴィルヘルムはスバルの中に若き日の自分と似たものを見ていたかもしれない。

Arc3白鯨討伐戦でのヴィルヘルムの活躍

Arc3「真実の慟哭」において白鯨討伐遠征が実現する。クルシュ・カルステン軍とスバルの連合軍による大規模な白鯨討伐は、リゼロ屈指の名場面として語り継がれる戦いである。その中心にいたのがヴィルヘルムだった。

白鯨との戦いは単純な力比べではなかった。白鯨は「霧」を操り、その霧に包まれた者は記憶や存在を失い「霧に喰われた」状態となる。また白鯨には三体が同時に存在し、それぞれが独立した個体として行動する。この複雑な戦況の中で、ヴィルヘルムは剣一本で白鯨の巨体に立ち向かった。三体同時に存在する白鯨に対して、軍全体が連携して戦う必要があった。

白鯨討伐戦でのヴィルヘルムの剣は、文字通り「鬼神」の如きものだった。白鯨の体表を何度も斬り裂き、霧の中でも怯まず戦い続ける姿は、共に戦う兵士たちを奮い立たせた。しかしそれはテレシアへの弔いの戦いであり、ヴィルヘルムの身体は満身創痍になりながらも止まらなかった。血を流しながらも剣を振るい続ける老剣士の姿は、戦場の全員に「諦めない」ことの意味を示した。

戦闘中、ヴィルヘルムは白鯨の霧によって記憶や存在を侵食されるリスクを背負いながら戦い続けた。フェリスや仲間たちが必死にサポートし、スバルがペテルギウスとの戦いを終えて合流する。スバルの精霊との連携、そしてクルシュ軍の総力を結集した攻撃が白鯨に集中する。

最終的に白鯨は討伐され、ヴィルヘルムは数十年越しの悲願を果たす。白鯨が倒れた瞬間、ヴィルヘルムは戦場でテレシアの名を呼び、涙を流した。長年の怨念が解けると同時に、最愛の妻への思いが溢れ出す場面は、原作ファンの間でも最も感動的なシーンの一つとして語られている。涙を流すヴィルヘルムの姿に、読者もまた涙した。

しかし白鯨を倒してもヴィルヘルムの物語は終わらなかった。グラントゥールの大罪司教・ライ・バテンカイトスという形で、その闇はヴィルヘルムの前に現れることになる。

Arc4聖域でのヴィルヘルムとライ・バテンカイトスの宿命対決

Arc4「聖域と強欲の魔女」においてヴィルヘルムは、グラントゥールの大罪司教・ライ・バテンカイトスと対峙する。ライは「暴食」の大罪司教として、人の名前と記憶を喰らう「権能」を持つ。その権能によって多くの人々の記憶が奪われており、テレシアの記憶もまたライに喰われていたことが判明する。

この事実はヴィルヘルムにとって、白鯨討伐を超える衝撃だった。愛するテレシアの「記憶」が他者の腹の中に収まっているという事実は、彼に新たな怒りと悲しみをもたらした。白鯨を倒してテレシアへの弔いを済ませたつもりが、まだ果たすべきことが残っていた。ライを倒すことは、記憶の奪還という意味でのテレシアへの弔いの完結だった。

ライ・バテンカイトスとの戦いは白鯨討伐とは異なる種類の激しさを持っていた。ライは「暴食の権能」を用いて相手の名前と記憶を消すという手段で戦う。名前を喰われた者はその存在を周囲から認識されなくなり、事実上「いなかった存在」となる。このような相手に対してヴィルヘルムは剣一本で立ち向かった。権能という理外の力に対して、剣という純粋な技術と意志で挑む。それがヴィルヘルムの在り方だった。

ヴィルヘルムはライとの戦いにおいても怯まなかった。「テレシアの記憶を取り戻す」という一念がヴィルヘルムを駆り立て、その剣技は老体からは想像もつかない凄まじさで展開された。ライはその暴食の権能を駆使してヴィルヘルムを翻弄しようとしたが、ヴィルヘルムの剣の速度と殺意は並の手段では止められなかった。

ライとの戦いはヴィルヘルム単独ではなく、スバルやその仲間たちとの連携によって進んだ。スバルが繰り返す「死に戻り」の中で最適解を探り続けた結果、ライの討伐は達成される。ヴィルヘルムはその最終決戦において中核となる役割を果たし、長年の宿縁に決着をつけることができた。

テレシアの記憶が戻る瞬間(ライ討伐後の感動場面)

ライ・バテンカイトスが倒れた後、彼が喰らっていた記憶が解放された。その中には、テレシア・ヴァン・アストレアの記憶も含まれていた。ヴィルヘルムはその場でテレシアの「記憶」に触れることができた。長年失われていたと思っていたテレシアとの時間が、断片として蘇ってくる。それはヴィルヘルムにとって、この世で最も大切なものの奪還だった。

この場面はリゼロ原作の中でも屈指の感動シーンとして語られる。長年にわたって失い続けてきたテレシアとの記憶が戻り、ヴィルヘルムは戦場の最中に涙を流す。テレシアはもはやこの世にいないが、彼女の記憶は確かに存在し続けていた。それを取り戻せたことが、ヴィルヘルムにとっての真の弔いとなった。白鯨を倒した時の涙とは異なる、より深い癒しの涙だった。

また、この場面ではテレシアの「声」あるいは「意志」とも受け取れるような感覚的な交流が描かれる。ヴィルヘルムの長年の孤独と憎しみが、テレシアの記憶と触れることで癒されるような瞬間は、読者の涙を誘うものがある。テレシアの記憶の中にあったのは、ヴィルヘルムへの愛と、ハインケルへの愛と、この世界の美しさへの感謝だったかもしれない。

テレシアの記憶の奪還は、白鯨討伐と合わせてヴィルヘルムの「二つの悲願」の成就と言えた。白鯨を倒し、テレシアの記憶を取り戻す。これでヴィルヘルムの人生の宿題は、ある意味で達成された。人生の目標を全て達成した後、ヴィルヘルムはどう生きるのか。その問いに対する答えが、Arc7での描写に繋がっていく。

なお、クルシュ・カルステンはライに記憶を喰われて廃人同然となっていたが、ライの討伐後も完全には回復しなかった。これはヴィルヘルムにとってもクルシュ陣営全体にとっても深い傷として残り続けた。自分が仕える主がその人格を失った状態であることは、忠実な臣下であるヴィルヘルムにとってもやりきれない現実だった。

Arc7ヴォラキア帝国でのヴィルヘルム(最後の戦い・その結末)

Arc7「帝国の希望」においてヴィルヘルムはヴォラキア帝国を舞台とする物語に登場する。スバルたちが帝国の内乱に巻き込まれる中、ヴィルヘルムも帝国での戦いに身を投じることとなった。二つの悲願を果たした後のヴィルヘルムが、なぜなお戦い続けるのか。それはこの老剣士にとって、剣を持つことが生きることそのものだったからだ。

Arc7でのヴィルヘルムは白鯨討伐やライとの戦いを経た後の老境の剣士として描かれる。肉体的な衰えは避けられないが、その剣技と精神力は衰えていない。むしろ白鯨とライを倒した後、ヴィルヘルムの中で「残された時間をどう使うか」という問いが生まれていた。自分の剣を最後に使うとすれば、何のために使うか。その答えをヴォラキア帝国の戦場で見つけることになる。

ヴォラキア帝国での戦いはリゼロシリーズで最も大規模な戦争を描くものの一つである。帝国内の権力闘争と外部からの脅威が絡み合う複雑な戦場で、ヴィルヘルムは自らの役割を果たし続けた。スバルや帝国の戦士たちと共に戦いながら、ヴィルヘルムはその老剣士の剣が最後まで衰えを見せないことを証明した。

そしてArc7においてヴィルヘルムは命を落とす。長月達平が描いた彼の最期は、剣士として死ぬことを本望とするヴィルヘルムにふさわしい、戦場での壮烈な最期だった。テレシアへの愛と、剣への執念を全うしきった一人の剣鬼の生涯に幕が下りた。その最期は悲劇ではあるが、ヴィルヘルムという男の人生の必然でもあった。彼は剣を置いて静かに老いていく存在ではなく、戦場で剣を振るいながら命を燃やし尽くす存在だったのだ。

ヴィルヘルムの死は物語に大きな衝撃を与えた。白鯨を倒し、テレシアの記憶を奪還し、その後も剣を持ち続けた老剣士がついにその剣を下ろす時。それはヴィルヘルム・ヴァン・アストレアという存在の完結であり、同時にリゼロという物語の深みを象徴するシーンでもあった。

彼の最期の場面で示されたのは、全てを失っても剣を持ち続けた男の誇りだった。テレシアへの愛、息子ハインケルへの複雑な感情、孫ラインハルトへの思い、クルシュへの忠誠、全てがその剣に込められていた。ヴィルヘルムは戦士として死ぬことで、その人生全てを肯定したのだ。

ヴィルヘルムがリゼロ世界に残したもの(ラインハルト・ハインケルへの遺志)

ヴィルヘルムが去った後も、彼の遺志はリゼロ世界に生き続ける。最も直接的な形でそれを体現するのが孫のラインハルト・ヴァン・アストレアだ。ラインハルトは現代最強の剣聖として君臨するが、その根底にはヴィルヘルムから継承した「剣への真摯な向き合い方」がある。

ラインハルトは「剣聖」の加護を持つ規格外の剣士であり、リゼロ世界最強と称される存在だ。しかし加護という神の力だけがラインハルトの強さではない。ヴィルヘルムから伝わった「剣を磨き、諦めず、愛する者を守る」という精神が、ラインハルトという剣士の核を形成している。ヴィルヘルム自身は加護を持たなかったにもかかわらず、その剣技と精神は孫に確かに伝わっている。

ラインハルトはヴィルヘルムを「祖父」として深く尊敬していた。剣聖の加護を持つラインハルトでさえ、ヴィルヘルムの剣の前では「まだ越えられない」と感じる場面がある。それほどにヴィルヘルムの剣は、加護の有無を超えた域に達していた。加護という「才能」を超えた「努力と意志の剣」がヴィルヘルムの本質だった。

息子ハインケルとの関係は複雑なまま残ったが、ヴィルヘルムの死後、ハインケルも自らの人生と向き合わざるを得なくなった。父の死は息子に何かを残したはずであり、その影響はArc8以降にも続いていくことが示唆されている。アストレア家という剣の家系の中で、ハインケルがどう生きるかは今後の物語の一つの軸でもある。

また、クルシュ陣営において最高戦力として君臨し続けたヴィルヘルムの存在は、陣営の精神的支柱でもあった。フェリスをはじめとする仲間たちにとって、ヴィルヘルムは単なる戦力ではなく、信頼と尊敬の対象だった。白鯨討伐という偉業を共に成し遂げた記憶は、彼が去った後もクルシュ陣営の人々の心に刻まれている。

リゼロという物語全体を通じて、ヴィルヘルムは「人は愛するものを守るために戦う」というテーマを体現するキャラクターだ。スバルが何度も死に戻りながら大切な人を守ろうとするように、ヴィルヘルムもまた最愛の妻のために数十年の戦いを続けた。その姿勢はスバルとヴィルヘルムを繋ぐ精神的な絆であり、白鯨討伐においてスバルがヴィルヘルムの思いを理解した場面は、両者のキャラクターを深く印象づけるものだった。

まとめ:ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアとは何者だったのか

ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアは、「剣鬼」として伝説に名を刻んだ剣士でありながら、最愛の妻テレシアを失い、その悲しみを数十年にわたって抱え続けた一人の男でもあった。加護なき剣で魔獣と大罪司教を討ち果たし、その壮烈な生涯を戦場で終えた。

彼の人生を振り返ると、いくつかの転換点が浮かぶ。テレシアとの出会いで「剣だけの鬼」から「愛するものを守る剣士」へと変わった時。テレシアの死後、白鯨討伐という一点に全てを注いだ時。白鯨を倒した涙の瞬間。ライの記憶の中にあったテレシアの記憶を取り戻した時。そしてヴォラキア帝国の戦場で最期を迎えた時。それぞれの瞬間に、ヴィルヘルムという人物の本質が凝縮されていた。

「剣鬼」という異名は、単なる強さの称号ではない。それは剣に憑かれた男の業であり、愛する人を守るために鬼にもなれる覚悟の証であり、そして最後まで剣士として生き続けた誇りの結晶だった。ヴィルヘルムが示してくれたのは、「どんなに時間が経っても、失った愛は忘れない。その愛のために戦い続けることが、生きることだ」というメッセージだったのかもしれない。

ラインハルトという孫に剣の精神を受け継ぎ、テレシアへの愛を全うし、剣士として戦場に散ったヴィルヘルムの物語は、リゼロが描く「人間の生き様」の中でも特に輝く一編といえる。彼の人生は一つの壮大な詩だ。剣と愛と喪失と復讐と再生、そして最後の戦い。それらが一人の男の生涯に凝縮されている。

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