『アイリスと茨の王』は、『Re:ゼロから始める異世界生活』の作中世界で「ずっと昔から語り継がれている古い物語」として扱われる、ヴォラキア帝国発祥の悲恋譚である。第五章でシリウスがその題名を口にし、第七章ではプリシラがエミリアに語って聞かせ、第八章ではヨルナ・ミシグレの正体と、屍人として蘇った『茨の王』ユーガルド・ヴォラキアの行動原理を説明する鍵になる。さらに2024年4月には、Web版(小説家になろう)で「リゼロEX『アイリスと茨の王』」が前後編として公開され、物語の裏側にあった「綴られなかった史実」が描かれた。
本記事は、この「物語」そのものを主題に置く。①作中でどう語られているか、②物語として伝わる筋と「史実」の違い、③EX前後編のあらすじ、④ヨルナ・プリシラ・ヴィンセントに繋がる理由、⑤第八章で描かれた「後日談」と本当の終幕を、原作本文(なろうWeb版)の記述に沿って整理する。皇帝ユーガルド本人のプロフィールや第八章の戦闘の詳細はユーガルド・エルカンティ(茨の王)の解説記事に譲り、ここでは重複を避けて「物語」の側から読み解く。
この記事の結論(2026年11月4日時点)
- 『アイリスと茨の王』=約300年前のヴォラキア皇帝『茨の王』ユーガルドと村娘アイリスの恋物語。作中では「おとぎ話であり、同時に史実にあった昔話」(第八章29)と位置づけられる。
- 物語の筋は「二人は手を取り合って帝国の内乱を終わらせたが、結ばれる直前に裏切りに遭って幕を閉じる」。史実では、アイリスを失った王が狼人と土鼠人への処刑を命じ、さらにアイリスの魂を帝国の大地に縛る呪いをかけた。
- その呪いで転生を繰り返してきた魂がヨルナ・ミシグレであり、一つ前の人生がプリシラの母サンドラ・ベネディクト。だからプリシラはヨルナを「母上」と呼ぶ。
- EX前後編は、なろうで無料公開中。書籍(短編集・Ex)への収録は本稿執筆時点で未確認。
『アイリスと茨の王』とは?帝国発祥の「物語」であり「史実」
第七章80話で、エミリアは『アイリスと茨の王』を「ずっと昔から語り継がれている古い物語の一つで、ヴォラキア帝国を発祥とする史実」と教わっている。彼女の知識はペトラ経由のもので、「『茨の王』と呼ばれた昔のヴォラキア皇帝と、『アイリス』という少女の恋物語らしい」という程度だが、第八章48話も『荊棘帝』の名が「世界中で広く広く知られている」と書くとおり、ルグニカ側でも読まれている古典である。
第八章29話では、ヨルナの視点からもう少し踏み込んだ定義が与えられる。
それはこの世界で古くから語られるおとぎ話であり、同時に史実にあった昔話である。
(第八章29『愛たくなかった』)
つまりこの作品は「おとぎ話」と「史実」の両方の顔を持つ。第八章48話の冒頭はさらに、『荊棘帝』ユーガルド・ヴォラキアの名が帝国の外でも広く知られている理由をこの物語に求め、「長い長い時をかけて、史実の本当の姿とは語り口を変えながら、それでも最も重要な中核となる部分、二人が深く愛し合っていたという点は変わらずに物語られ続けた」と説明している。物語は事実を美しく塗り替えながら、芯の部分だけは保って伝わってきた、という設定である。
作中で題名が登場する場面一覧
| 話数(Web版) | 誰が | どう触れたか |
|---|---|---|
| 第五章66『リリアナ・マスカレードの舞台』 | シリウス→プリシラ | 『アイリスと茨の王』『ティレオスの薔薇騎士』『マグリッツァの断頭台』と題名を並べて挑発。プリシラは「――死ぬがいい」と返す。 |
| 第七章60『波乱の胤蒔き』 | アベル→タリッタ | 「自らの選択の正しきは、のちの己の行動によって証す他にない」と語り、「『アイリスと茨の王』……古典の引用だ」と添える。 |
| 第七章80『アイリスと茨の王』 | プリシラ→エミリア | ヨルナとの「親子関係」を説明するために、物語の筋と史実の違い、そして「呪い」を語る。 |
| 第八章9・29 | ヨルナ(地の文) | 自分自身の記憶として物語を振り返る。地の文の「描かれなかった『アイリスと茨の王』のその後の物語――」を、ヨルナ自身が「なんて、そんな美しい物語では到底ありんせん」と打ち消す。 |
| 第八章48・49『茨の呪い』『茨の王』 | 地の文・ユーガルド | 屍人として蘇ったユーガルドの来歴と、『茨の呪い』の正体が語られる。 |
| 第八章67・73・終幕 | ヴィンセント・プリシラ・スバル | 「我が子の子らよ」と呼びかける先祖の参戦。スバルは心中で「仮にそれが悲劇に終わったなら、これはその後日談だ」と受け止める。 |
| 第九章1『祈りよ雲のように』 | 地の文 | ユーガルドの最期。「今という時代まで終わりを先延ばしにし続けた物語の、本当の意味での終幕」。 |
| リゼロEX『アイリスと茨の王』前編・後編 | 作者による外伝 | 約300年前の出来事そのものを描く。「綴られる物語の、綴られなかった史実を孕んだ古の物語」。 |
物語として語り継がれる「あらすじ」
第七章80話でプリシラがエミリアに語った「物語版」の筋は、驚くほど短い。
――アイリスと茨の王は手を取り合い、多種族を巻き込む帝国の内乱を終戦へ導いた。じゃが、想いを通じる二人は結ばれる直前、裏切りに遭い、物語は幕となる
(第七章80『アイリスと茨の王』)
第八章9話のヨルナの回想は、これをもう少し具体的に補う。『茨の王』と呼ばれた当時のヴォラキア皇帝と恋に落ちた少女アイリスは、「玉座を追われた皇帝のため、彼を匿い、支え、共に道を往くと決めた」。その勇敢さと聡明さと健気さに多くの者が『茨の王』を称え、二人の未来を祝福した。だがその未来は「巧みに甘言を操った奸臣に騙された土鼠人と、その功名心と驕りを利用された狼人の裏切りによって」失われた――。第八章48話の地の文も同じ骨格を「臣下に裏切られ、玉座を追われた『茨の王』とアイリスの再会と、手を取り合った二人の叛逆の始まり」と要約している。
要するに、世に伝わる『アイリスと茨の王』は、①孤独な王と少女の出会い → ②臣下の裏切りで玉座を追われる → ③少女と共に取り戻す → ④結ばれる直前の裏切りで幕、という「悲恋の英雄譚」の形で読まれている。エミリアが「悲しいお話なのね」と眉を下げたのは、この物語版に対する素直な感想だ。
「物語と史実は違う」――本編で語られる史実の中身
プリシラはエミリアの感想を受けて、「しかし、物語と史実は違う」と切り返す。彼女が語った史実は三段階に分かれている。
①裏切りの後に「狂気」へ落ちた
「史実では、裏切りによってアイリスを失った茨の王は狂気に落ち、刃を向けた狼人と土鼠人を根絶やしにした。逃げ延びた少数を含め、帝国ではいまだに此奴らは見つけ次第、火炙りとされる」。第八章49話でも、狼人とその血を引く半狼人――人狼さえも、帝国で見つかれば死罪を免れない「未来永劫の掟」を残したのがユーガルド本人だと語られる。第七章の舞台となったヴォラキア帝国で、狼人や土鼠人がほとんど姿を見せない理由がここにある。
②狂気はアイリス自身にも向けられた
プリシラは「ただ怒りに身を任せただけでは、狂気に落ちたとは到底言えまいよ。故に、茨の王の狂気はこのあと、失われたアイリスへ向けられた」と続ける。茨の王がアイリスにしたこと――それが「呪いをかけた」である。
――死した魂をオド・ラグナへ引き渡さず、再び地へと引き下ろす秘術
(第七章80『アイリスと茨の王』)
この呪いをプリシラは『茨の戒め』と呼び、「尽きぬ渇愛が生んだ呪い」と評する。死者を蘇生させる力はない。魂がオド・ラグナへ還らなければ、本来の措置を受けないまま地上へ戻り、次の器へ入る。「再誕とも、転生とも言えような」と彼女は言う。第八章終幕では、この魂を縛るのに用いられているのが「古の時代より積み上げられた狼人と土鼠人、その二つの種族の血肉と命」であり、その供給を断てば呪いは自然に消える、と説明が補われる。狼人・土鼠人への処刑令と、アイリスの転生は、一本の線で繋がっているのだ。
③その魂は三百年近く転生を続け、今はヨルナである
「呪いの解けぬ限り、絡みつく茨の戒めが解けぬ限り、死した魂の再臨は繰り返される」。その繰り返しの果てにいるのがヨルナ・ミシグレであり、「ヨルナ・ミシグレの一つ前の人生が、妾の母上であった」というのが、プリシラが語った親子関係の正体だった。この点は後述する。
EX『アイリスと茨の王』前後編――綴られなかった史実
2024年4月、なろう版の本編とは別枠で「リゼロEX『アイリスと茨の王』」が前編・後編として公開された(作者の後書きは、エイプリルフール企画としての更新に触れている)。前後編あわせて約10万字の長編で、約300年前の出来事を、物語ではなく「史実」として描く。冒頭と末尾に置かれた「――古き物語は語る。」という枠の語りが、「その、綴られる物語の、綴られなかった史実を孕んだ古の物語である」と宣言するとおり、ここで初めて読者は「物語」の裏側を知ることになる。以下、主要な流れを追う。
第十九皇子ユーガルド・エルカンティと「茨の縛め」
ユーガルドは神聖ヴォラキア帝国の第十九皇子として、皇帝ラドカイン・ヴォラキアの十九番目の男児に生まれ、代々帝国に仕えるエルカンティ家に生を受けた。エルカンティ家は「戦働き以外を認められた稀有な家」で、政治力と多方面との繋がりを評価されて「特別上級伯」の地位を与えられた唯一の家だったが、そのことが他家の反感を買った。やがて「エルカンティ家を排除したいと考えた何者かの悪意」が、幼子だったユーガルドに向けられる。それが誰の企てだったのかは「後世でも明らかになっていない」。
その結果が、本文で「茨の縛め」と呼ばれる体質である。ユーガルドの傍に近寄る者は、人も動物も区別なく心臓を茨に縛められ、苦痛で立ち上がることすらできなくなる。乳母は血を吐きながらも事実を伏せて彼に接し続け、小鳥さえ止まり木を求めて降りてくれば心臓を止められた。護衛を持てない彼は剣技を自分で磨き、着替えも掃除も自分でこなし、本邸との連絡は矢文に頼る。物語が始まる時点で彼は二十歳、エルカンティ領の領主である。ただし本人は痛みを感じない。第八章49話が補足するとおり、ユーガルドは生まれつきの「無痛症」で、呪いは本人ではなく周囲だけを苦しめ、「結果、彼は一人になった」。
丘の上の出会い――「星はそなただ、アイリス」
領内の村が野盗に襲われ、ユーガルドの差配で常備軍が討伐する。村の宴に混ざれず丘の上に一人立つ彼に、黒羊を連れた村娘が声をかける。
真っ暗闇を眺めるより、空の星を数えた方が心が安らぎませんか?
(リゼロEX『アイリスと茨の王』前編)
アイリスは袖を掴んでも茨に苦しまない。その理由を本文は前編では明かさず、ユーガルド自身も「茨の気紛れを恐れ」、答えを求めないことを「茨がくれた猶予の条件」のように感じている。彼はアイリスを「我が星」と呼び、「星を数えよと言ったであろう。そなたが、我が星だ」と告げる。第八章49話で「ユーガルドの茨を跨いで近付いてきた少女との出会い」として回想されるのが、この場面である。
狼人ヴォルカスと土鼠人リネック――「あなたを、許します」
出会いから二十日ほど後、アイリスの村は再び襲われる。襲ったのは狼人ヴォルカスの群れで、最初の襲撃で群れの一部をエルカンティ軍に皆殺しにされたことへの報復だった。両親と村長を殺され、檻に入れられたアイリスは、それでも「本当に、戦うのを終わらせる方法って、それしかないんですか?」と問い続ける。ユーガルドは兵を置いて一人で洞窟に乗り込み、茨の中で自ら胸を引き裂いて痛みを痛みで掻き消しながら戦うヴォルカスを倒す。とどめの代わりに、アイリスが言う。
――あなたを、許します
(リゼロEX『アイリスと茨の王』前編)
ヴォルカスは「投降する。オレ以外、誰も殺してくれるんじゃねえ」と群れの命を乞い、アイリスはヴォルカス本人の助命も願う。彼らは『服従の首輪』を嵌められて懲罰部隊となり、ヴォルカスはエルカンティ軍の主力を率いる将へ、薬草の知識を持つ土鼠人リネックはアイリスの「センセイ」として看病役になっていく。物語版では裏切った二種族としてだけ語られる狼人と土鼠人は、史実では最初にアイリスに命を救われた者たちだった。
「余が、次のヴォラキア皇帝となろう」
皇位継承権を持ちながら『選帝の儀』を辞退するつもりだったユーガルドは、村人の火葬の後、アイリスに「わかった、我が星。私が……余が、次のヴォラキア皇帝となろう」と宣言する。理由は「それが最も長く、そなたの傍にいられる方法だからだ」。ここから『選帝の儀』の勝利請負人を自称する「草の者」ゴルダリオ家のウィテカーと、その妹テリオラが陣営に加わり、二枚一対の魔具『対話鏡』を百以上集めて、茨に触れずに人と交渉できる手段を整えていく。前編は皇帝ラドカインの崩御と、『陽剣』ヴォラキアを抜いたユーガルドの「――始めるぞ、『選帝の儀』を」、そしてそれを鏡越しに聞いたウィテカーの「忙しくなりますね。――『どらまてぃっく』にいきましょう」で幕を閉じる。
後編:『狂戦病』の正体と、治ったゆえの別れ
後編で、アイリスが茨に平気だった理由が明かされる。彼女が幼い頃に罹った大病は『狂戦病』――魔女戦争の時代にヴォラキアで「恐怖を知らない勇猛な戦士」を作るためにあえて作り出された病で、生き残った患者は「一定以上の強さの痛みを脳が感じ取れなくなる」。その後遺症が、茨の痛みから彼女を守っていたのだ。ウィテカーが取り寄せた貴重な薬草でリネックが特効薬を煎じ、病が癒えると同時に、彼女は茨から逃れる術を失う。『選帝の儀』を勝ち抜き、兄ギルデオ・ムジークを一騎打ちで討って「第六十一代皇帝」の資格を得たユーガルドが再会に駆け寄った平野で、アイリスは胸を押さえて膝をつく。再会が果たせなかった直後、茨の影響範囲は百メートル圏から数百メートルへ広がり、『対話鏡』さえ貫通するようになった。
ウィテカーの謀反、森での再会、二人だけの戴冠式
呪いの拡大を見たウィテカーは「もう、ヴォラキア帝国の帝位に就けておくのは不可能なんだよ」と離宮に火を放つ謀反を起こし、後に『盗帝』と称される。テリオラは暗殺の寸前で兄を裏切ってユーガルドを逃がし、森で追い詰められた彼のもとへアイリスが現れる。手を取っても茨は起きない。「愛の力です」と笑う彼女に背を押され、ユーガルドは『陽剣』を抜いて謀反を鎮圧し、ウィテカーを自らの手で斬る。帝都ルプガナの水晶宮で行われた戴冠式は、王冠をアイリスの手から受ける、二人だけの「世界で最も寂しい戴冠式」だった。「そなたを愛している。故に、余の妻となってほしい」――求婚に、アイリスは「――はいっ」と答える。
毒、獣の爪、そして「命懸けの恋」
だが「愛の力」の正体は、リネックに煎じさせた『狂戦病』を疑似的に再現する薬湯――リネック自身の言葉では「毒」――だった。痛みを遮断する代わりに心身を激しく消耗させるその毒を、アイリスは「愛する男を騙しながら」飲み続け、血を吐きながら皇妃として傍にいた。
結末は水晶宮の庭園で訪れる。血溜まりに倒れたアイリスの「心の臓を、茨に絡みつかれるそれを抉ったのは、獣の爪」。ヴォルカスである。ユーガルドに向かって彼は「狼人の性だよ。最初に情けをかけられたときからずっと、この瞬間を狙ってたんだ、バーカ」と嘲るが、独白が明かす本心は別にある。苦しみながら毒を飲み続けるアイリスを見ていられず、「毒を飲む理由がなくなるか、毒を飲めなくなるか」の二つしかない中で、彼は後者を選んだ。そしてユーガルドに自分と同胞を憎ませることで「生き甲斐」を与え、彼を帝位に留めて帝国を滅びから救おうとした――本文はそれを「半分正解で、半分間違い」と評する。ヴォルカスは『陽剣』の炎に焼かれ、ユーガルドは「アイリスの死と、その死がヴォルカスにもたらされたものと公にした」。物語版の「狼人の裏切り」は、この公表された事実が三百年かけて磨かれたものだと読める。
処刑令と『魂婚呪』――呪いの責は「余が負う」
ユーガルドは「アイリスを殺したヴォルカスと同族の狼人と、その殺害に協力した土鼠人を残らず捕縛し、処刑するよう命じた」。ただし本文は、それが「怒りを理由に族滅を命じたのではなかった」と念を押す。「そのものたちの命を用い、愛する星が死してもなお、滅ばぬように縛めたのだ」。棺の傍でテリオラが告げた『魂婚呪』は、「死したものの魂を、回廊へと迷わせず、その地に結ばせ、留める術法」であり、魂の消滅を免れ「あの方の面影を強く残したまま、再誕することが適う」かもしれない、という呪いだった。ユーガルドはその責を誰にも背負わせないと言う。
愛を以て呪いを生み出さんとするならば、その責は余が負わねばならぬ。余と、アイリスとのことだ。――そなたもヴォルカスも、邪魔してくれるな
(リゼロEX『アイリスと茨の王』後編)
テリオラは自らも感覚を失う毒を飲み、「閣下に、世継ぎを残していただくために」と願い出る。枠の語りはその後を「少女の命を喰らった狼と、少女に毒を飲ませた土鼠は帝国を追われた。王を導いた詠み人は焔に倒れ、王を支えることを望んだ賢女は次の皇帝を産んだ」と要約し、『茨の王』は「最期まで、自分以外を呪うことなく、独りで生き切り、死に切った」と締める。ユーガルドが生涯で唯一、自分の望みとして作り変えたのが、五つの頂点を持つ星型の帝都の城壁――「自分の星を忘れていない証」である。そして何十年も後、「かつてと違う体」で目覚めた少女が、山の上からその星型の帝都を見下ろし、自分を大地に縛る縛めを解く方法を探すと決めて、後編は終わる。
――わたしは、あの方の星なんですから
(リゼロEX『アイリスと茨の王』後編)
「物語」「本編での説明」「EX」はどこが違うのか
同じ出来事でも、語り手によって細部が変わる。混同しやすい点を表にまとめた。
| 論点 | 語り継がれる物語版 | 本編の登場人物の説明 | EX前後編の描写 |
|---|---|---|---|
| 裏切りの主体 | 「裏切りに遭い、物語は幕」(プリシラ)/「奸臣に騙された土鼠人」「功名心と驕りを利用された狼人」(ヨルナの回想) | 「アイリスを殺した狼人」(第八章67) | 離宮への謀反は臣下ウィテカー。アイリスの命を奪ったのはヴォルカス一人。土鼠人リネックはアイリスに頼まれて毒を煎じた立場で、他の狼人・土鼠人が殺害に関わった描写はない |
| 王の報復 | (物語には含まれない) | 「狼人と土鼠人を根絶やしにした」「見つけ次第、火炙り」(第七章80)/「見せしめとして根絶やしにする」(第八章49) | 「捕縛し、処刑するよう命じた」まで。「根絶やしにした」という完了形の記述はなく、リネックは生き延びて毒と薬を作り続けた |
| 呪いの呼び名 | ― | 『茨の戒め』(第七章80)/ユーガルド自身の体質は「茨の縛め」(第八章29〜)『茨の呪い』(第八章48〜) | アイリスの魂を縛る術は『魂婚呪』。ユーガルドの体質は「茨の縛め」「茨の呪い」 |
| ユーガルドの呪いの出どころ | ― | 『選帝の儀』における妨害工作の一環。敵対する皇族兄弟のうち誰の意向か、どの呪術師かは不明(第八章49) | エルカンティ家を排除したい「何者かの悪意」。誰の企てかは「後世でも明らかになっていない」 |
| アイリスが茨に平気だった理由 | ― | 説明なし | 『狂戦病』の後遺症。治療後は毒で病を再現して傍にいた |
| ユーガルドの代数 | ― | 数字の記述なし(「帝国史上最強の皇帝」「歴代皇帝最強」) | 「第六十一代皇帝」 |
注意したいのは、本編の登場人物が語る「史実」も、あくまで三百年後の人々が知る範囲の史実だという点だ。プリシラの「根絶やしにした」とEXの「処刑を命じた」は矛盾というより、視点の違いとして読むのが自然だろう。EXの語りが繰り返す「綴られる物語の、綴られなかった史実」という言葉は、本編の人物たちでさえ知らない層が物語の下にある、という作者からの注釈になっている。
ヨルナ・プリシラ・ヴィンセントに繋がる理由
ヨルナ・ミシグレ=転生を続けるアイリスの魂
第八章29話は端的にこう書く。「そのアイリスの魂が天へ昇らず、帝国の大地へと縛られ、幾度もの転生を繰り返した存在がヨルナ・ミシグレ。そして、アイリスの魂を帝国の大地へ縛ったのが、他ならぬ『茨の王』ユーガルド・ヴォラキアだった」。期間は「三百年近く」。死ぬたびに別の体で新たな名前を得て蘇り、「誰かの子であり、誰かの親であり、誰かの妻であり」という生涯を幾重にも重ねてきた。第八章63話では、地の文が彼女を「アイリス=ヨルナ」と表記する。
混同しやすいが、ヨルナの代名詞である『魂婚術』は、自分の愛する者にだけ魂の一部を分け与えて強化する彼女自身の秘術であり、転生の呪いそのものではない。第八章9話は「ヨルナの『魂婚術』は、自分の愛するものにしか付与できない」と書き、だからこそ彼女は「愛しいと囁くことが憚られるほど高貴で、身分差のある男」が愛したこの帝国の大地を「愛すると決めて」いる。詳しくはヨルナ・ミシグレの解説記事を参照してほしい。
プリシラが「母上」と呼ぶ理由――サンドラ・ベネディクト
第七章80話でプリシラは、ヨルナと血は繋がっておらず育ての親でもない、と二度エミリアを「たわけ」と退けた上で、「ヨルナ・ミシグレの一つ前の人生が、妾の母上であったということじゃ」と明かす。場面が変わって別室でアベルがヨルナに「――サンドラ・ベネディクトとは、意表を突かれたぞ」と告げるとおり、第八章9話の地の文も、ヨルナがかつてサンドラ・ベネディクトであったことを前提に書かれている。第八章73話でユーガルドはプリシラに「余の正妃……テリオラの面影があるな」と言い、終幕でも「やはり、テリオラの面影があるな」と繰り返す。その終幕でプリシラは「血ではなく魂の繋がりとはいえ、娘の前で母上への愛を堂々と嘯くものよ」とユーガルドをからかう。プリシラの正体を巡る記事では、この「魂の母娘」関係が彼女の出自の核になる。
第五章66話でシリウスが『アイリスと茨の王』ほか三つの題名を挙げると、プリシラが「――死ぬがいい」と応じたのも、彼女にとってそれが単なる古典ではなく、文字どおり「母の物語」だったからだと読める。
ヴィンセント=「我が子の子ら」
第八章67話で、古い絵画の中の『荊棘帝』の姿を知っていたヴィンセントの前に現れたユーガルドは、「すでに皇帝の冠は次代に継がれ、今はそなたのものであろう。余が『荊棘帝』などと名乗るのは道理に合わぬ。――ユーガルド・ヴォラキアだ」と名乗り、「――我が子の子らよ」と呼びかける。彼は生前、「自分の子や子孫の顔を近くで目にしたことがなかった」。茨の縛めがそれを許さなかったのだろう。第八章73話では「『選帝の儀』でもなしに、『陽剣』が三本」という理外の共闘が実現し、先祖と子孫、そしてプリシラの三人が『陽剣』を振るう。ヨルナがヴィンセントと手を組んだ理由について、第八章29話は、転生の束縛を解きたいというヨルナの願いを「ヴィンセント・ヴォラキアもまた看破していた。それ故にヨルナはヴィンセントと手を組み」と説明している。帝国の皇帝についてはヴィンセント・ヴォラキアの解説も参照のこと。
第八章で描かれた「後日談」と、本当の終幕
第八章(大災編)では、スピンクスの引き起こした屍人の蘇りによって、ユーガルド・ヴォラキアが「三百年近く間を空けた逢瀬」のためにヨルナの前に現れる。緑髪に茨の冠、右手に『陽剣』、左手に『邪剣』ムラサメ。在位中に当時の『九神将』を一人残らず自らの手で誅殺した(「余より弱きものたちが、我が星の命を奪おうとしたのだから」)という逸話が語られ、第八章48話は彼を「帝国史上最強の皇帝」と呼ぶ。
この決戦で最も皮肉な配役は、彼に立ち向かうのが狼人のハリベルだという点だ。ユーガルドはハリベルに「貴様の種族は我が星を一度は死なせることに加担した。よって同罪の土鼠人同様に、見せしめとして根絶やしにする」と告げ、ハリベルは「昔の皇帝さん、君が僕らが滅びかけとる原因やん」と返す。そのハリベルが見抜いたのは、帝都に無差別にばら撒かれた茨は「皇帝さんが周りを呪っとるわけやなくて」、ユーガルド自身が幼少時にかけられた呪いが拡大したものだという事実だった。生前、周囲は「呪いをかけているのはユーガルドだ」と噂し、本人もそれを否定しなかった。
呪いは解かれたのではなく「別のものへと移し替えられた」(第八章63話)。第九章2話でガーフィールが聞かされた話では、グルービー・ガムレットが「ユーガルドの呪いをその身で引き受け、自分ごと『邪剣』に斬らせた」のだという。一方、胸に茨を宿したハリベルが『邪剣』ムラサメでユーガルドを斬ったことで、蘇りを起こした首魁への強制力も「『邪剣』に断ち切られたように」消え去った。ユーガルドは「余を、長く苦しめた茨より解き放ったもの」であるグルービーの代わりを果たすと誓う。ハリベルの「そのけったくそ悪い呪いから解放して、ただの王様にしたるよ、『茨の王』」という台詞は、物語の題名に対する三百年越しの回答だ。
終幕でヨルナが願ったのは、自分の転生の束縛を解くこと――すなわち「狼人と土鼠人に対する、帝国の出した種絶の命令」の撤回だった。「当時、その命令を下したのは他ならぬ余だ」と、ユーガルドは自らの口から今代の皇帝に撤回を求めると告げ、第九章1話では「『賢帝』と称される今代のヴォラキア皇帝が撤廃を約束した」と記される(本文で確認できるのは「約束」までで、施行の描写はない)。そしてユーガルドは、かつてアイリスが言葉を残せなかった別れとは逆に、自分が先に逝く側として穏やかな最後の時間を過ごす。
――我が星、余はそなたを愛している
私もです、閣下。ずっと、永久に薄れることなく、あなたをお慕いしています
(第九章1『祈りよ雲のように』)
地の文はこれを「『アイリスと茨の王』という、古い時代に始まり、今という時代まで終わりを先延ばしにし続けた物語の、本当の意味での終幕だった」と結ぶ。スバルが終幕で心中に浮かべた「仮にそれが悲劇に終わったなら、これはその後日談だ」という思いと、口にした「だったらせめて、少しでも後味がいいようなエピローグがあっても俺はいいと思う」という言葉が、そのまま第八章全体の読後感を言い当てている。
どこで読める?――Web版と書籍
- EX前後編:小説家になろう「Re:ゼロから始める異世界生活」の前編・後編(無料)。なろうの目次上では第八章の途中に置かれている。
- 本編での主要な言及:第七章80話、第八章9・29・48・49・63・67・73話、第八章終幕、第九章1話(いずれもなろうWeb版)。書籍版では第七章が26巻以降、第八章が34巻以降に相当する。
- 書籍への収録:EX前後編が短編集・Ex巻に収録されているかは、本稿執筆時点(2026年11月4日)で確認できていない。確認でき次第この項を更新する。
帝国編を原作で追いたい方は、第七章が始まる26巻からが入口になる。
📖 ヴォラキア帝国編(第七章)を原作で読む
『アイリスと茨の王』に関するよくある質問
Q. 『アイリスと茨の王』を一言で言うと?
約300年前のヴォラキア皇帝『茨の王』ユーガルドと村娘アイリスの悲恋を描いた、帝国発祥の古い物語。作中では「おとぎ話であり、同時に史実にあった昔話」と定義される。
Q. ヨルナ・ミシグレはアイリス本人?
魂は同一である。ユーガルドの呪いによって魂がオド・ラグナへ還らず、三百年近く転生を繰り返した現在の姿がヨルナ。第八章63話などの地の文は「アイリス=ヨルナ」と表記する。
Q. プリシラがこの物語の題名で激怒したのはなぜ?
第五章66話でシリウスが『アイリスと茨の王』ほか三つの物語の題名を挙げると、プリシラは「――死ぬがいい」と応じた。ヨルナの一つ前の人生がプリシラの母サンドラ・ベネディクトであり、彼女にとってこの物語は「母の物語」そのものだからだと読める。
Q. 「茨の王」は誰のこと?
ユーガルド・ヴォラキア(EXでの出自はユーガルド・エルカンティ)。近づく者の心臓を茨で縛める体質ゆえにそう呼ばれ、後世には『荊棘帝』とも称される。EXでは「第六十一代皇帝」と書かれるが、本編側に代数の記述はない。
Q. アイリスを殺したのは誰?
EX後編では、狼人ヴォルカスの爪である。ただしその動機は、毒を飲み続けて苦しむアイリスを見ていられなかったことにあり、公表された「狼人の裏切り」とは意味合いが異なる。本編の登場人物は後者の形でしか知らない。
Q. 『茨の戒め』『茨の呪い』『魂婚呪』『魂婚術』の違いは?
『茨の戒め』は第七章80話でプリシラが用いた、アイリスの魂を縛る呪いの呼称。EXではその術を『魂婚呪』と呼ぶ。『茨の呪い』『茨の縛め』はユーガルド自身の体質(近づく者を苦しめる茨)。『魂婚術』はヨルナが愛する者に魂を分け与える別の秘術で、転生の呪いではない。
Q. 狼人・土鼠人への処刑令はどうなった?
第八章終幕でヨルナが撤回を願い、ユーガルドが自ら今代の皇帝に求めた。第九章1話は「撤廃を約束した」と記す。実際に撤廃が施行された描写は本稿執筆時点のWeb版にはない。
まとめ――「綴られなかった史実」を知ると、第八章の見え方が変わる
『アイリスと茨の王』は、リゼロ世界で三百年語り継がれた悲恋の古典であり、同時にヨルナ・ミシグレという人物の「前世」そのものである。物語版では「裏切りで幕を閉じた恋」、本編の説明では「狂気に落ちた王の処刑令と呪い」、そしてEXでは「毒を飲んででも傍にいた少女と、愛ゆえに呪いの責を背負った王」。三つの層を重ねて読むと、第八章で屍人として蘇ったユーガルドが、なぜ狼人のハリベルに「見せしめ」を宣告しながらも最後には種絶の命令の撤回を願ったのか、なぜプリシラがヨルナを「母上」と呼ぶのかが、一本の線で繋がる。
EX前後編はなろうで無料で読める。第七章80話と第八章終幕、第九章1話を読んでからEXに戻ると、「――わたしは、あの方の星なんですから」という最後の一行が、三百年後のヨルナの台詞として響くはずだ。
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